北海道へ行き始め…やはり交通機関の不便さに儘ならなくなる。峠一つ越えれば次のポイントがあるのに、一旦下の街へとバスで降りてまた登り直す…の繰り返し。結局は一日一か所を廻るのが関の山。クルマだと直ぐに移動できるのになぁ…と。

 必然的に福岡から自分のクルマを走らせて、延々と1,800km先の北海道へ向かう。キャンプ道具を競技車両に積んで行き…野宿も厭わず端から端まで走り回った。著名な観光地など殆ど無視し、地元の方に聞いたポイントを周り繋いで…。

 一度目こそフェリーを乗り継いで、小樽の港へ降り立ったが…何故、二度目には、馬鹿みたいに日本海側を延々と自走をして行ったのか…其処には、下調べを殆どしないで出発した…極めて突発性の行動に原因があった。福岡から延々と走って到着した舞鶴の港。午後未だ明るい時間帯…敦賀からもフェリーあったなぁ…と若狭の辺りをウロウロとして、敦賀の港に着いたら…。当時は隔日での出港でした。今更舞鶴へ戻っても間に合わない…と新潟へ。到着は昼…既に10時の便が出たばかり。そんな訳で青森まで仕方なく走った。きちんと下調べをして、予約しておけば良かったのですけどね。そんな訳で、青森駅から出港直前のブリッジを急遽降ろして戴き、青函連絡船にクルマを載せて貰って函館に。朝市でちょっとだけ贅沢な朝食を摂って、それから放浪を始めた訳です。

 道内を隅々まで廻ったけど、根室の民宿「友知」とか、斜里・越川の民宿「花板」とか…楽しかったなぁ。

 今みたいにGSやコンビニが夜中も開いている時代と違って、夜の8時ともなると真っ暗になる頃です。次の街まで50キロ以上もあったりするから、街に着いたら直ぐに給油と食材の買い物…がお決まりだった。
 大半はキャンプ場でテントを張って…それも面倒臭ければ、クルマのリアシートで寝たり。朝は殆ど自炊…福岡で山盛り買っておいた「マルタイラーメン」が有難かったですね。クルマ用赤ガスでもOKなように、オプティマスの123Rを使っていました。
 アンダーガード・LSD・ラリータイヤ装備の競技車両だったから4WD車並みの走破性があり、山奥の隅々まで走って行けた。ただ困ったのは、九州だと10km走れば解る行き止まりが、北海道だと50km以上あったりします。山奥の分岐路で、木の枝を立てて倒れた方へ行こう…とか、余り実践しない方が良いかも知れません。

 今は観光バスも数多く通る「三国峠」も、当時は蒲鉾断面の未舗装路。そんな時代だったから、路肩に落ちて自力で出れなくなったレンタカーを、何台も引き上げて…人助けも数多く実践しましたよ。JAF呼んでも何時間かかるか解らないし、そもそも連絡の術が公衆電話しか無かった頃でしたので。